徒然草紙~神社とか小説とか~

神社仏閣巡り・小説・歴史考察・石談義など、ごった煮ブログです。ちょっとトンデル時もあります(笑)。

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古い祭祀のかたち






奈良県桜井市にある大神神社は、古い神社のかたちを留めているといわれています。


拝殿が造られたのは江戸時代で、それまでは檜原神社のように、三ツ鳥居だけがある神社だったようです。ご神体が三輪山なので、本殿がないという面白い神社です。


三輪山は禁足の山で、木々の伐採も許されていませんでした。だから、三輪山を間近に見たときの感想は「ボウボウやん!」でした(神様のお山に、なんちゅうことを……^o^;)。


大神神社の創建が、どれくらいまで時代を遡れるのかというと、弥生時代くらいまで辿れるらしいです。山中などに祭司遺蹟の磐座があるのですが、下から子持ち勾玉や土器など、時代の古いものがいっぱい出てきています。麓には纏向遺跡があり、ここが初期大和朝廷の築かれたところらしいです。


対して、よく日本の古社といわれる伊勢神宮と出雲大社はというと……。


いまいち創建年代が、はっきりとは解りません。諸説紛々です。


伊勢神宮の遷宮が始まったのは奈良時代(天武天皇の時代)で、梅原猛先生や上山春平先生は、伊勢神宮自体できたのが奈良時代とおっしゃっています。わたしもその説に賛成です(今は、ですが、あとから変わるかもしれないし、新事実が解ったら、自分の意見をひっくり返してもいいです。笑)。


出雲大社は、本殿二十八丈あったというのは本当かもしれない! と話題になっていますが、2000年に見つかった柱は鎌倉時代の物らしく、文献で見れば(日本書紀)、上限は奈良時代らしいです(ちなみに、神話では神産巣日神が造らせた、と書かれてますね)。


出雲大社の高さですが、「雲太・和二・京三」と言われています。雲は出雲大社、和は奈良東大寺の大仏殿、京は平安京大極殿です。これは、平安時代に書かれた貴族の教養書「口遊」という本に書かれています。上古の出雲大社の高さは三十二丈(九十六メートル)、平安時代は十六丈(四十八メートル)だそうです。だから、何回も倒壊したらしいです(^ _ ^;)。


出雲大社が造営された最古の記録は、日本書紀の斉明天皇5年(659)です。


出雲の国で、平安時代初期まで重視されていた神社は、出雲国一の宮にもなっている熊野大社です。それは、現在熊野大社で行われている鑚火祭(亀太夫神事)でも現れています。


出雲の古い神祭の姿は、弥生時代に遡ります。


島根県松江市にある田和山遺跡や、鳥取県大山町・淀江町にある妻木晩田遺跡に出雲大社と同じ形式の社殿の跡があります。大社型本殿を持つ社で、どういう祭祀が行われていたのかは、定かではありませんが。


また、出雲では神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で使用目的不明な青銅器・銅鐸が見つかっています。銅鐸は祭祀に使われていたといわれています。


滋賀県も銅鐸の出土で有名な場所です。


滋賀県野洲郡野洲町は、秀麗な三上山(近江富士)を擁する街ですが、大岩山遺跡から大量の銅鐸が出土しました。三上山の神、天御影神は、一説ではたたらの神である天箇一神(あめのまひとつのかみ)と同じと言われています。(余談では、天箇一神は播磨国風土記のなかで、丹塗矢型神話の神として語られていまして、道主姫神ーー同じく播磨国風土記に載せられている奥津島姫神(多紀理姫=道主貴?)に子を生ませています。奥津島姫神の相手は伊和大神(=大国主神?)です。閑話休題)


野洲の隣街の守口市には伊勢遺跡があって、神祀りをしている本殿の廻りを、利用目的不明(神祀り?)の建物がぐるりと配置されているという、他に例を見ない遺構が見つかっています。


古代の日本は、磐座・磐境の神祀りと神奈備山型・自然霊祭祀を織りまぜた祭祀があったようです。




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