徒然草紙~神社とか小説とか~

神社仏閣巡り・小説・歴史考察・石談義など、ごった煮ブログです。ちょっとトンデル時もあります(笑)。

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意外なキーパーソンだった人

 昨日の日記で話題に出した、高愼の妻・李氏ですが、彼女、意外なキーパーソンだったことが解りました(てゆうか、もしかしてわたし、気づくの遅すぎ?)。

 高演と高湛が楊インを殺し、帝(文宣帝の子)を廃しようとする前、婁太皇太后に楊イン一派の目論見を密告した人物が居たんです。

 宮人(女官)である李昌儀(りしょうぎ)という女性で、帝の母・李太后が同族の誼で、とっても仲良くしていた女性なんです。

 廃帝の側に居たのは漢人文官で、彼等は諸王や勲貴を疎んじて朝から締め出そうとしていました。
 諸王や勲貴が奉じるのが、文宣帝の弟達である高演と高湛で、漢人文官は彼等を遠くに追い遣ろうとしていました。
 廃帝は何とか首を横に振っていましたが、彼は母・李太后にそのことを話してしまいます。
 李太后は日頃仲良くしている李昌儀に内緒で打ち明けましたが、李昌儀は婁太皇太后に内容を密告しました。
 そこから、高演や高湛の不審感が出てき、楊イン殺害と帝の廃位へと繋がります。

 で、この李昌儀が、高愼妻で後に高澄の妾になった李徽伯の女・李氏なのです。

 宮人といえば、後宮の女官ですが、李氏は高澄の死後后妃付きの女官となっていたようです。
 昌儀というのが、女官名なのか李氏本人の名前なのかは、よく解りませんが;;。


 あと、中国のサイトにある「北史演義」では、高澄の妾妃となった後に、婁太后に可愛がられ、李后とも仲良くなったが、李氏からすれば婁太后のほうが重要だった、という風に書いてありました。

 高澄に強姦されて、後には妾妃となり、宮人となった李氏の、こころの変遷に興味があります。
 彼女は何を思って、高澄の側に居たのか。婁太后や李后をどんな目で見つめていたのか……。想像が尽きません。



 ちなみに中国のサイトで、「蘭陵王」の小説を連載しているサイトを検索で見つけましたが、蘭陵王の母親が高愼妻・李氏となっていました。

 http://www.kenxiaoshuo.com/artinfoinfo/5/5466.htm

 どうも、高澄に乱暴されたときに子を身籠ったという感じだったのですが、それなら、高愼の妻だったときに生んだ子というので、母親の名を出すのに憚りが出てくるかもしれませんね。
 でも、李氏の実家は名族である趙郡李氏だし、こういう場合は高歓の子の永安王浚のように書かれるのが妥当だとは思うんですが……。母親が李氏なら、名前が散逸する、ってことはなさそうだし。

 やはり、長恭サンは身分の低い女性が産んだ子で、しかも母親に早死にされた子っぽいな、とわたしは思います(ていうか、書け書け自分! 八月はもうすぐだ。爆)。
   
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