徒然草紙~神社とか小説とか~

神社仏閣巡り・小説・歴史考察・石談義など、ごった煮ブログです。ちょっとトンデル時もあります(笑)。

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蘭陵王孫・高元簡の仏像

 さいらさんのサイト「転倒坂うぇぶ学問所」さんの、「蘭陵王」のページの雑談ページ、「情報求む! その1」のページにある、蘭陵王孫・高元簡の記事

「孝道美此其時矣義賣佛像籌款南非建寺洛陽龍門石窟千佛洞發現蘭陵王孫高元簡造地藏、觀音像龕北京房山雲居寺開放為佛教活動場所樂」


 と関連する中国の新聞記事を、「ヤフー! 台湾」の検索で見つけました(汗)。

http://news.sina.com.cn/china/1999-8-22/7957.html 中国新聞社


 ヤフー翻訳やエキサイト翻訳で見てみたところ、蘭陵王孫高元簡は、唐代永隆二年(681年)に、龍門石窟の千仏洞に地蔵菩薩像と観音像を納めたようです。
 龍門石窟の千仏洞は破壊と盗掘が酷いらしいですが、高元簡が納めた地蔵菩薩像と観音菩薩像は高い場所にあり、なおかつ光の当たり難い場所にあったようなので、破壊を免れていたそうです。

 蘭陵王の没年は573年で、孫の高元簡が龍門石窟に地蔵菩薩と観音菩薩を納めたのが681年なので、蘭陵王の死から108年後に孫の元簡が蘭陵王を供養するための(?)仏像を納めたわけです。

 上記の中国の記事にもありますが、北斉の皇族は北斉滅亡後、長安に連行されてことごとく殺されています。
 蘭陵王の子が生きていたとして、ある程度の年齢になっていたら、その子も連座して、死の運命を免れないと思うのです。
 てことは、蘭陵王死後に、息子が生まれていたということになるのかな?
 108年後なら、孫世代が造ったと見ることはできますし。
 この時、高元簡は結構なお年だったのかも。この年代だったら、蘭陵王の曾孫がいてもおかしくないし。蘭陵王の子が老年に差し掛かった頃に高元簡が生まれてるのかな(汗)。
(いや、中国新聞社の元記事に610年に高元簡が仏像を造ったってあったから、おいおい37年後かよ! 計算合わね~~!! って思いました。爆)


 かなりでっかい発見というか、とにかく、蘭陵王の子孫が唐代に生き残っていた、というのは確かなようです。
 でも、仏像を納めるってことは、色々財産がなければ仏像自体を造れないわけだし、龍門石窟に仏像を納めるのにも、お金が掛かったかもしれない。滅亡した国の皇族の子孫だけど、唐の時代には財産なんかも自由にがぽがぽ持てたかもしれませんね(夢の無い現金な言い方やな。汗)


 まぁ、どちらにしろ、夢を持てる話ですね。
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