徒然草紙~神社とか小説とか~

神社仏閣巡り・小説・歴史考察・石談義など、ごった煮ブログです。ちょっとトンデル時もあります(笑)。

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金星の神の足跡~原初の神から悪神へ~(2)









 凶星である金星は、日本にも影響を与えています。


 陰陽道の「大将軍」や「艮の金神」、そして外宮の豊受大神です。


 豊受大神はもとは天女で、老夫婦に虐げられて放逐されてしまい、真名井原に逃れてきます。


 そんな天女を迎えたのが、海部氏の祖である人々でした。





水の天女〜豊受大神・天道日女〜





 真名井原のある丹後元伊勢・籠神社の主祭神は彦火明神――天照国照彦天火明櫛玉饒速日命です。


 彦火明神の妃は佐手依比売で、宗像の市杵島姫(狭依姫)と同神とされています(別名・日子郎女)。彼女は天香語山命の妃である熟穂屋姫を生しました。


 もう一人、大国主神(大汝命)が宗像の多岐津姫(神屋楯姫)との間にもうけた天道日女(屋乎止女・高光日女)という妃がいます(この女神は先代旧事本紀には「対馬」の天日神の娘とあり)。彼女は海部・尾張氏の祖である天香語山命(高倉下命)を生しました。


 そして、丹後から大和に移動したあとに娶った、大和の豪族・長髄彦の妹である御炊屋姫がいます。彼女は物部氏の祖である宇摩志麻治命を生しました。


 奇妙なのが、彦火明命が佐手依比売の姪である天道日女を娶ったことです。古代のことだから、こういうこともありうるとは思います。が、彦火明神が最初に妻にしたのが、天道日女だということが「海部氏勘注系図」から読み取れます。年齢を考えれば、佐手依姫を先に娶るでしょう。播磨国風土記では、彦火明神は大汝命の子です。「海部氏勘注系図」に従えば、彦火明神と天道日女は兄妹ということになります。佐手依比売と彦火明神では年齢の開きが大きすぎます。さらに奇異なのが佐手依比売と似たような名の女神が「古事記」に出てきます。「津島」の天之狭手依比売です。「津島」と「対馬」は同じというふうに見えます。


 ふたりの女神が同一女神だとすると、天之狭手依比売と天道日女がともに「対馬」の女神ということになります。同一神という疑惑が出てきます。宗像女神の別名は道主貴で、播磨国風土記では道主日女が父親の解らぬ子を生み、日女は酒を醸して子に父親のもとに捧げよと言います。子は天目一箇神のもとに酒を捧げました。同じく播磨国風土記に、奥津嶋比売が伊和大神(大汝神?)の子を生んだとあります。


 「海部氏勘注系図」に基づいた話では、天道日女と多岐津姫、天香語山命は比沼の真奈井の天女・豊宇賀能売に仕えました。


 比沼の真奈井の天女は、仲間達八人で水浴びをしに地上に降りてきます。が、老夫婦に羽衣を盗まれてしまったひとりの天女は天上に帰れず、老夫婦のためにお酒を醸したり甲斐甲斐しく働きます。が、老夫婦は天女が邪魔になり家から追い出してしまいます。行く当てもなく真名井原にたどり着いた天女を海部氏の祖が庇護し、天女は豊受大神として籠神社の奥宮・真名井神社の祭神になっています。


 ここで天道日女に視点を変えますと、彼女の別名は屋乎止女(やおとめ)といいます。八乙女と言い換えることもできるかもしれません。天道日女と天女の伝説が重なってきます。丹波道主王(籠神社の伝説では、彦火明神と同一または転生とされていますね)が豊受大神に対し、八人の乙女を奉仕させたと丹後の伝承にはあります。天道日女は豊受大神の巫女か、あるいは羽衣を奪われてしまった八人目の天女か――ロマンをかき立てられます。


 丹後にあるもうひとつの羽衣伝説では、水浴びをする八人の天女を見たさんねもという若者が羽衣を一枚隠してしまい、天に帰れず困っている天女を妻にします。天女はさんねもの子を三人生みますが天恋しさは変わらず、大黒柱から羽衣を見つけ出し天に帰ってしまいます。地上を去ってしまった天女に未練があるさんねもと天女が一年に一度会う日、それが七夕だといいます。


 強引にみれば、豊受大神と天道日女(宗像女神)は同じといえるかもしれません。


 神仏習合で宗像女神とされる弁財天も、天女です。


 天河大弁財天社の祭神である弁財天は、神奈備山である彌山に舞い降りた日輪大天女です。


 江島神社の弁財天も天女で、降り立った天女の美しさに一目惚れした人食い五頭龍が彼女との結婚を望みますが、天女は「わたくしは人を食う悪龍に身体を許すことはできない」と撥ね付けます。五頭龍は天女を諦めきれず、人々を救い護る善龍に生まれ変わります。はれて夫婦になった五頭龍と天女ですが、人々を救うたびに龍は衰弱し、終わりを悟ります。五頭龍は腰越の龍口山の神(現在の龍口明神社)となり、天女のいる江ノ島を恋しく見守っているといいます。


 宗像女神と七夕は縁が深く、天河大弁財天社では旧暦の七月七日に七夕祭が行われています。福岡の宗像大社でも七夕祭は盛大に行われています。


 弁財天はインドではサラスヴァティーで、シュメールのイナンナがペルシャでアナーヒターになり、サラスヴァティーになったといわれています。


 イナンナ(アスタルテ)は月の女神で、籠神社の由緒書には豊受大神は月神の神格ももっていると書かれています。


 真名井神社の昔の神紋は、六芒星――ダビデの星でした。現在は何故か巴紋に変更されています。


 そして、伊勢神宮の灯籠にも六芒星が刻まれています。


 六芒星は籠神社からでしょうか、「籠目紋(かごめもん)」といわれています。童謡の「かごめかごめ」と関係があるともいわれています。


 鞍馬寺でも「籠目紋」をよく見ることが出来ます(これは、最近かもしれませんね。 ^o^;)。


 真名井神社にある六芒星は艮の金神からか、あるいはイナンナの神話が弁財天・市杵島姫に受け継がれたのか――。豊受大神のもうひとつの神名は天御中主神で、この神は天台密教では妙見さんになっていますね。妙見さんは星の神様です。


 いずれにしても、真名井神社は星と関係が深いといえます。








太陽神・宵の明星~天照国照彦天火明神~





 大阪の住吉大社は海部氏の傍流である津守氏が奉祭した神社です。


 「浦島太郎」のお話は、籠神社では彦火明神が籠船に乗って龍宮に行ったという伝説がもとだとあります。


 が、「浦島太郎」伝説の舞台は「墨江(住ノ江。住吉大社のあるところ)だと万葉集にあります。


 住吉大社の祭神は表筒男・中筒男・底筒男・神功皇后です。


 この「筒(つつ)」には夕星という意味があるらしいです。夕星(ゆうづつ)――宵の明星です。延喜式に、富山の速星神社の祭神は五十筒男神または住吉大神とあります。交野にある「星田神社」の祭神は住吉三神と神功皇后です。星田神社のなかには「星田妙見宮」があり、こちらは天御中主神が祀られています。交野のあたりは饒速日命が大和入りしたときに通った場所で、物部氏の跡地になります。饒速日命が乗ってきた岩船があるという「磐船神社」や「天野川」があり、星や七夕、天女を匂わせます。(他に、住吉神と星の関連では、オリオンの三ツ星とかもいわれています)


 住吉神=饒速日という説もあります(「河内高貴寺縁起」――昔、河内の磐船神社の神宮寺だったといわれています)。津守氏の祖が彦火明神ということもあり、可能性はあります。


 また、磐船(交野・私市)の地には住吉神社が多くあります。磐船の地ならば饒速日命が祀られてあるのが妥当でありますが。


 饒速日命はどういうわけか、七夕(棚機)と関係があります。


 福岡県小郡に七夕神社がありますが、祭神は「姫社神」と「織女神」です。一般的に「姫社神」は饒速日命で「織女神」は饒速日命の母・万幡豊秋津師姫といわれています。七夕神社の近くには「牽牛社」があり、「犬飼神」が祀られています。


 私見ですが、七夕神社の一方の祭神は天女(織姫)で、牽牛社の祭神はその相対する男神ではないでしょうか。片方が饒速日命ならば、御炊屋姫あるいは天道日女かと思います。わたしは、天女である天道日女か佐手依比売、豊受大神ではと考えています。


 比売語曽神(姫社神)は下照比売や赤留比売ともいわれています。


 下照比売は湍津姫(多岐津姫)の子といわれ、別名高照光姫・飛鳥神奈備三日女・賀夜奈流美命です。兄は阿遅鋤高彦根命です(飛鳥坐神社由緒から)。天道日女の別名を高光日女というので、繋がりがあるかもしれません。


 赤留比売は新羅の天日槍の妻で、日光感精神話(ある娘が泉のほとりで昼寝をしていたら、日光が娘の陰所に差し込み、娘は赤い玉を生みました。一部始終を見ていた男は玉を欲し、天日槍に捧げます。天日槍が寝所で玉を見ていたら、美しい娘に変化したというお話。丹塗矢伝説に似ていますね)で生まれました。天日槍は娘――赤留比売を妻にし、彼女は夫に甲斐甲斐しく仕えますが、天日槍は彼女を軽々しく扱います。赤留比売は「もともとわたくしはあなたの妻になるような女ではありません。わたくしは祖国に帰ります」といい、海を越え大和にたどり着きます。はじめ姫は豊後の姫島に寄り付きます。が、天日槍が大和に追ってきたと聞き、姫は難波(大阪市鶴橋の比売語曽神社か西淀川区の姫島神社、中央区高津の高津宮)に逃れます。天日槍は難波まで追いかけてきますが、難波の海の神(住吉神)が遮ったため、赤留比売を諦め但馬の出石に落ち着きます(但馬国一宮出石神社)。


 鶴橋にある比売語曽神社には下照比売が祀られ、姫島の姫嶋神社には赤留比売と住吉神が同居しています。平野の楯原神社にも赤留比売が祀られています(主祭神は武甕槌神・大国主神)が、ここには「十種神宝宮」があります。織田信長が石上神宮を襲ったとき十種神宝が散逸し、一部がここに納められています。


 天日槍は太陽神だという説があります(矛は太陽神を象徴する神具)。赤留比売は太陽神を祀る巫女だったのでしょうか。そして、彼女は住吉神とも縁があります。同じ平野にある杭全神社の境外摂社にも赤留比売神社があります。


 これは、「淡島願人」の話による住吉神の妃の伝説です。天照大神の第六女である婆利塞女は住吉神の妃でしたが、下の病を煩い楽器や人形とともにうつろ船に乗せられ、海を漂い加太の淡島(和歌山県加太淡島神社)に流れ着いたといいます。これが、ひな祭りの起源です。現在加太淡島神社の御祭神は少彦名神と大国主神、神功皇后です。


 住吉神の妃の伝説はもうひとつあります。「住吉大社神代記」に、「ある記によると、住吉大神は廣田大神と交親を成しており、ゆえに御風俗歌がいちじるしくあった。『墨江伊賀太浮渡末世住吉夫古(墨江から筏を浮かべて末永く渡っていらっしゃい、我が古馴染みの夫よ)』。すなわち廣田の御祭の時に定められた御宴歌である」とあります。廣田神社の祭神は天照大神の荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)で、古史古伝である「ほつまつたえ」には、男神天照大神の中宮(瀬織津姫)とあります。瀬織津姫は祓戸大神の一神で、滝や川に祀られている水の女神です。籠神社から出ている「倭姫命世紀」には、「荒祭宮は皇大神の荒魂で伊邪那岐神の所生である、名は八十禍津日神、一名瀬織津姫である」とあります。


 廣田神社の神奈備山は甲山で、平安時代初期の海部氏の姫・真井御前(厳子姫)が堂宇(神呪寺)を構え、弘法大師(空海)に弟子入りしています。弘法大師は真井御前に似せた如意輪観音を彫り、神呪寺に奉納しました。真井御前の「真名井」は豊受大神を祀る真名井神社の「真名井」で、弘法大師は金星の守護を得ていたといいます。


 (他に、住吉神と女性の婚姻の伝承は、神功皇后との密事があります。「住吉大社神代記」に「その夜、天皇は突然病を発せられて崩御なされた。このとき皇后は大神と密事があられた。これは俗にいって、夫婦のみそかごとを通わすということである」とあります)


 彦火明神は各地の天照御魂神社で、「天照御魂神」として祀られています。


 彼は原初の太陽神で、金星の神格をも持っていたのではないでしょうか




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