徒然草紙~神社とか小説とか~

神社仏閣巡り・小説・歴史考察・石談義など、ごった煮ブログです。ちょっとトンデル時もあります(笑)。

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聖娼を連想させる日本の逸話






(この記事は、わたしが別業で書いているブログから転載したものです。そんなに酷くはないと思いますが、ちょっと下ネタが入っています。苦手な方はスルーして下さいませ。汗)


 日本には、古代オリエントの聖娼を思わせるような女神や女性の逸話があります。


 双身大聖歓喜自在天(インドではガネーシャ・ヴィナーヤキャ・毘那夜迦)は大自在天(シヴァ神)の子で、象頭神です。インドでは単体で祀られていますが、日本では男女双頭のオリジナル化した神です。


 毘那夜迦神はとてつもない悪神で、人の身体に仕掛けをし、惰情を起こさせたり癇癪を起こさせたり、淫らな妄想を起こさせたりと、修行者の精神統一の妨げを行っていました。


 これを見た十一面観音が女体の姿をとり、毘那夜迦神の前に現われます。


 毘那夜迦神は女神を見て「うあぁぁ~~いい女~~っvv」と欲情を起こします。


 是非ともエッチしたい! と彼は女神に伝えます。が、女神は「もう悪いことしないなら、考えないでもないわ」と告げます。「うん、うん、もうしないから!」と毘那夜迦神は約束し、男女神はがっちり抱き合いましたとさ、というお話です。


 大抵歓喜天像は寺院では秘仏で、卑猥だからとか恐れ多いとか、いろいろな理由で見ることが出来ませんね。単体の歓喜天像はよく拝むことができるみたいですが。


 大聖歓喜天の逸話は、仏教の勉強室様の歓喜天のページで見ることが出来ます。





 続いて、弁財天のお話です。


 江島神社から取り上げてみます。


 ひとつ目は「江島縁起」から。


 江ノ島に降臨した弁財天を見初めた人食い五頭龍がいまして、弁財天に「うおぉぉぉ~~! やらせてくれぇ~~ッ!」と迫ったところ、弁財天は「やぁよ! なんで人食い龍に身体を許さなきゃいけないのよっ!」と撥ね付けました。五頭龍は「人食いやめるから~~お願い~~!」と言ったので、「じゃあ」と弁財天は五頭龍を受け入れます。


 以来、五頭龍は悪さをしなくなり、民人を護ります。が、力を使い果たした五頭龍は自らの死期を悟り、龍口山の龍口明神(現在腰越にある龍口明神社)になったといいます。龍口明神社の御祭神は玉依姫とありますが、もともとは五頭龍らしいですね。


 玉依姫っていったら、蛇神である大物主神の妻になった活玉依姫や、丹塗矢伝説をもつ賀茂玉依姫を思い出します。弁財天(市杵島姫・狭依姫・狭手依姫)の旦那さんってことは、丹後元伊勢籠神社の祭神である彦火明神(山幸彦・賀茂別雷神)の可能性もあり? とか考えたり(どうしても思考がそっちにいくなぁ。笑)。


 二つ目は「想山著聞集 (江戸時代の三好想山著)」より。


 田沼家の浪人が江ノ島の弁財天がものごっつい美女だというので、「うぅぅ、見てみたいなぁvv」とお顔を拝みに行きます。見たとたん、浪人は弁財天に恋い焦がれ、悶々としました。弁財天は浪人の願いをかなえ、男の欲望を二度受け入れました。が、浪人の欲望にきりはなく、ついに弁財天は「いいかげんにしてよっ、こっちが甘えさせてやったら、調子に乗って! この不心得者っ、もう二度と現われてやらないから!」と体内に吐き出された精液を布団にぶちまけて退散していきました、というお話です。


 江ノ島の弁財天といったら裸弁財天もあるので、エロチックですね。弁財天のもとになったサラスヴァティーは、聖娼が仕えていたイナンナ(アスタルテ・アプロディテ)に流れ着くので、ある意味さもありなん、といった感じです。


 「日本霊異記」には、同じような吉祥天のお話があります。


 で、オリエントの似たようなお話では、エンキドゥと聖娼シャムハトの逸話があります。


 女神アルル(ニンフルサグ)が土から造った半人半獣のエンキドゥは、折角知恵を持っていながらまだ目覚めておらず、獣に混じって森で生活していました。


 そこで、ギルガメシュは聖娼のシャムハトを差し向け、聖娼の裸身を見たエンキドゥは彼女を抱いてしまいます。


 シャムハトと行為を重ねるうちに、エンキドゥは獣の群れに混じれなくなり、完全なる人になりました。


 エンキドゥはギルガメシュと親友になりますが、求愛を撥ね付けたギルガメシュに怒った女神イシュタルが天の牡牛を襲わせます。エンキドゥは牡牛を殺しますが、それが神々の怒りに触れ、エンキドゥは命をとられました。


 


 遠いオリエントの神話が、奈良時代に日本に伝わったのか、それとも偶然か。もしくは、ありえないかもしれないけれど、太古の時代にシュメールから逸話のもとが入ったのか――とても興味深いです。


 あるいは、男を鎮めえるのは女しかいない、という暗喩なのでしょうか。





 参考にした本:「性と宗教―タントラ・密教・立川流(笹間良彦 柏書房)」(わたしはこの本、図書館で借りて読みました。汗)




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