徒然草紙~神社とか小説とか~

神社仏閣巡り・小説・歴史考察・石談義など、ごった煮ブログです。ちょっとトンデル時もあります(笑)。

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太陽神の原型






1・大和の太陽神


 朝廷がおかれていた大和の国で一番の神様といえば、呼んで名の如く「大神神社」です。


 天智天皇の時代に近江に遷都されるとき、女流歌人の額田王はどの神よりも三輪山に惜別と鎮魂の歌を送っています。


 またこのとき、天智天皇は日吉大社の西本宮に、大神神社から大己貴神(大物主神)を勧請して祀っていたりします。


 当時の朝廷にとって、「国家鎮護の神様」といえば「伊勢神宮」よりも「大神神社」でした。


 崇神天皇の時代に、神祀りが疎かになっているといって、大物主神は疫病を流行らせ、神の子孫である大直禰子を探し当て神祀りをさせた崇神天皇は「この神酒はわが神酒ならぬやまと成す 大物主の醸し酒 幾久幾久」と謡っています。大物主神は「やまと成す神」と認識されていたのです。


 大神神社は二度元伊勢になっています。


 宮中では居心地が悪いと感じた天照大神が最初に鎮まったのは、三輪山の北麓である「倭笠縫邑(檜原神社)」でした。


 それから鎮座地を点々としますが、途中で留まったのは「御室嶺上宮(大神神社)」だったりします。


 他に興味深いエピソードとしては、神功皇后が新羅征伐の戦勝祈願のために筑前国(福岡)に大神神社から勧請して「大三輪社(大己貴神社)」を祀ると、戦いに勝つ事ができたといいます。


 また、欽明天皇の時代に朝廷に服従した蝦夷は、朝廷ではなく三輪山に帰順したらしいです。


 何かにつけ古代史で登場してくるので、よほど、古代日本において、大神神社の扱いは大きかったようです。


 さて、どうして「大和の太陽神」のコラムで大神神社のことを出してきたかというと、春分・秋分の日に太陽が登る山だからです。古代大和の人が三輪山を神聖視したのは、こういう理由もあったのではないでしょうか。


 あと、三輪山を通過点にして、北緯34度32分のラインで西に淡路島の伊勢の森・二上山穴虫峠・箸墓古墳・伊勢神宮があります。三輪山にはどうしても太陽のイメージが付き纏います。


 出雲神話で大神神社の主祭神・大物主神は「海を照らして依り来る神」として描かれています。「海照」→「天照」なら、大物主神も太陽神的な神格を持っているのかもしれません。


 一説には、三輪山の神の太陽神としての神格だけを抜き取られて、伊勢に祀られたといわれています。太陽神の神格を抜かれた神は「大物主神」として、国家鎮護の神、大和の国津神の代表的な神として今日も祀られています。








2・伊勢の太陽神


 伊勢の土着の神といわれているのは、猿田彦や伊勢津彦神です。


 猿田彦神は「道引きの神」です。降臨した天孫を日向の高千穂に案内し、自分は伊勢に向かったとあります。


 風土記逸文の伊賀の国によりますと、猿田彦神が始めこの国を伊勢の加佐波夜(風速)の国につけ、そして二十余万歳の間この国を治めていた。とあります。


 この二十余万歳というのは、天照大神が伊勢に鎮座する以前の頃のことでしょうか。


 伊勢神宮の程近くにある猿田彦神社の宮司家が宇治地区にもともとおられた家系(猿田彦神の子孫・大田命の子孫である宇治土公が祖)らしく、地名の「宇治」は宇治土公の名からでしょうか。この一族は長く伊勢神宮の神官として奉仕してきたそうです。


 ちなみに、伊賀という地名は猿田彦神の娘の吾娥津媛神かららしいです。


 あと、伊勢国一の宮の椿大神社も猿田彦神が主祭神ですから、三重県一帯が猿田彦神を祭っていた、ということになるのでしょうか(大雑把に言い過ぎ?)


 猿田彦神の容姿は、「古事記」では、「光って上には高天原に輝き、下には葦原中国に輝いている」とあり、「日本書紀」では「鼻の長さ七握、背の高さ七尺あまり、口の端が明るく輝き、目は八咫鏡のようで、真ん中は赤ほうずきのようである」とあります。赤ほうずきは蛇の目の象徴であり(カガチ=カガシ……山かがし(蛇))、太陽神や大地母神はよく蛇神として表現されています。雄略天皇が少子部スガルに言って捕らえさせてきた三輪山の大物主神の物実は「きらきらと目を輝かせた大蛇」とあります。


 また、猿田彦神は釣りをしているときに、ヒラブ貝に手を挟まれて溺れ死んだといいます。海のそこにいるときに「底どく御魂」、海面に上がっていく泡の息から「つぶたつ御魂」、海面で潰れる息の泡から「あわさく御魂」という神が生まれたとか。


 「記紀」の記述から、猿田彦神は「海を照らして依り来る」伊勢の海人の太陽神であり、蛇神だったかもしれません。


 同じく風土記に、伊勢津彦神、またの名・出雲建子神、またの名・天櫛玉神とあります。


 神武天皇に「伊勢国を平定してこい!」と命じられた天日別神(天御中主神の十二世孫)とバトルして負けてしまい、信濃国に落ち延びた神様ですが、伊勢に出雲ってどう? と言いたくなります。天櫛玉命は神産巣日神の子孫で、賀茂建角身神の父だったはずですが。


 出雲の佐太神社の佐太大神は猿田彦神と同神、といわれています。


 この佐太大神の出生譚は丹塗矢伝説型のお話で、支佐加比売(キサカヒメ。大国主神を救ったキサガイヒメ=神産巣日神の娘?)が身籠っていた子を生むとき、「私の御子が麻須良神の御子ならば、なくなった弓矢よ出てこい」と願いましたら、角の矢が流れてきたので、女神は「これは私の矢ではない」と言って投げ捨てました。次に流れてきたのは金の矢で、女神は手に取り、「なんと暗い窟であることよ」と言って、岩盤めがけて矢を射通したといいます。


 天櫛玉神の孫も似たような出生譚を持っています。


 大和の葛城の鴨から山城の国に移り住んだ賀茂建角身神は丹波の伊賀古夜日女と契って建玉依日子(鴨県主の祖)と玉依日女を生みます。この玉依日女が川で水遊びしているときに、川から丹塗矢が流れてきて、丹塗矢に感得した日女が夜の枕元に矢を置くと、ひとりでに身籠ってしまいました。あやしんだ建角身神は日女の子(男子)に「酒宴の席で、この酒を父と思う者に飲ませなさい」と言いましたら、男子は屋根を突き破って天に酒を持って行ったといいます。この男子は賀茂別雷神、父神は火雷神(日吉大社・松尾大社の大山昨神)です。


 こちらはまったく大物主神のエピソードと同じですが、後半は加賀の潜戸の話と似てます。


 ここで暴論をぶちかますと、伊勢津彦=出雲建子、猿田彦神=佐太大神、伊勢津彦神=猿田彦神で繋がっているかもしれない!(……かなりトンデモなこと言ってますね……)。ついでに天櫛玉命=櫛玉饒速日命、大歳神=猿田彦神だったら、もっととんでもないことになりますが……自分でもイマイチ、と思ってます(伊勢津彦=猿田彦神というのも)。


 ……何というか、信憑性も概然性もない空想で遊んでみました。


 自分でもちっとも笑えないです(大汗)。








3・彦火明神


 「天照御魂神」といえば、連想されてくるのは「天照大神(アマテラスオオミカミ)ではないでしょうか。


 しかし、ここでいう「天照御魂神」は「天照大神――大日霊女貴」ではなく「天照国照彦天火明神」のことです。上記の「天照御魂」は神社の名前で「新屋坐天照御魂神社(大阪府茨木市」「粒坐天照御魂神社(兵庫県龍野市)」という名前であります。この神社はどこでも「天照国照彦天火明神」を主祭神にしています。


 この「天照国照彦天火明神(略して彦火明神)」は丹後の海部氏と尾張氏、津守氏の祖神で、海人の太陽神でもあります。彼は天照大神の子である天忍穂耳神と萬幡豊秋津師姫の子で瓊瓊杵尊の兄といわれています。また、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子で火折尊や火酢芹命の兄という異伝もあります。


 「阿麻氏留神社(長崎県対馬)」や「伊勢天照御祖神社(福岡県久留米市大石)」というのもあるくらいなので、天照大神以前に信仰されていた太陽神の代表格かもしれません。


 奈良県では田原本に「鏡作坐天照御魂神社」などあります。


 また彦火明神は物部氏の祖神・饒速日尊と同一神とされています。


 「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」と古史古伝である「先代旧事本紀」にフルネームで書かれています。


 奈良の田原本は物部系の神が多く祀られていて、桜井市の三輪山の南方には「等彌神社」があります。この「等彌」は在地の豪族・長髄彦の本拠地である「鳥見」の候補地といわれています(他に、生駒の高山の地も「鳥見」の候補地。ここに饒速日の墓があるらしい。(^_^;)。


 先代旧事本紀では、饒速日尊は天照大神に命じられて瓊瓊杵尊よりも先に葦原中国に降臨し、天磐船に乗って鳥見の白庭山に到達したといいます。そこで饒速日尊は長髄彦の妹・御炊屋姫と結婚します。が、姫が身籠っているときに力尽きて死んでしまいます。姫が生んだ子の宇摩志麻治が物部氏の祖になります。


 で、海部氏・尾張氏はというと、彦火明神(饒速日)が天上にいたときに対馬の天日神の娘(海部氏の系図では大国主と神屋楯姫の娘となっている)天道日女(またの名・屋乎止女)と契って、天香語山命(またの名高倉下命・手栗彦命)を生しています。この高倉下は熊野に居たらしく、神武天皇が東征したときに霊剣・布都御魂剣を奉じて天皇を助けています。この天香語山命が海部氏・尾張氏・津守氏の祖です。


 彦火明神はまったく系譜不詳の神としかいいようがなく、播磨国風土記では伊和大神(オオクニヌシ?)の子と書かれています。


 在野の歴史研究家である原田常治さんは彦火明神(饒速日)は須佐之男命の子で、大物主神と同一神といわれています(大物主神のフルネームが倭大物主奇甕玉命で、甕が入るか入らないかの差で、饒速日のフルネーム・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命と近いから)。ただし、わたしはこれに異論がありますが。


 面白いことですが、彼の妃で熟穂屋姫(天香語山の妃)を生んだ佐手依比売は、宗像三女神の市杵島姫(狭依姫)だとか、奥津島姫(多紀理姫)と海部氏系図にはありました。


 多紀理姫は大国主の妃で、阿遅鍬高日子根と高比売の母だったはずですが……(^ o ^;)。


 そして、神屋楯姫は三人目の宗像神・多岐津姫とか。


 それに、天道日女は別名・高光日女=高照姫(先代旧事本紀では高照光姫)ともありました。


 高照姫の異母姉妹には、古事記では高比売(日本書紀の高姫)=下光比売(書紀=下照姫)がいます。下照姫の別名は、飛鳥三日女/飛鳥神奈備三日女(奈良県高市郡誌)・賀夜奈留美(かやなるみ)命(出雲国造神賀詞)です。


 「奈良県高市郡誌」では、高照姫と下照姫を同神としています。「高光日女」=「高日女」と考えたら、ありえます。


 ただし、「先代旧事本紀」では、高照光姫と下照姫は異母姉妹であり従姉妹という風になっていましたが。


 高比売……別名・下照姫は天稚彦の妻なんですけどぉ……。


 ということは、彦火明神は天稚彦か?


 どうなってんの? 海部氏系図……。


 まぁ、二人とも「天羽々矢」を持っていたりして共通点がありますが。


 あと「比売語曾神社」祭神は下照比売で、他の姫社神を祀っている神社の祭神は赤留比売です。赤留比売の夫である天日矛は「七種神宝」を持っていたりして、彦火明神と何気に共通点がありますが……(汗)。


 てことは、彦火明神の妃神は、マラ石(男性生殖器)を捧げられる女神様なの? (逆説的にゆぅたら、彦火明神はマラ石ですかい?)


 で、飛鳥坐神社は「元伊勢」と自ら語ってますし。「飛鳥神奈備三日女」=「大日霊女貴」?


 また、古事記に伊邪那岐神と伊邪那美神が生んだ津島(対馬)は「天狭手依比売」とあります。彦火明神本妻の佐手依比売と「津島」の女神・天狭手依比売。そして「対馬の天日神(別伝・天照御魂神=彦火明神?)」の女・天道日女(別伝・大国主神と多岐津姫の娘)のループしているようなループしていないような関係は?








 あ゛あ゛ぁ、混乱する~~ッ!!!




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*Comment

 

辿っていくとほんとに混乱しますね。でも、よく調べていらっしゃいますね。すごく参考になります。また教えてくださいね。
  • posted by shigechanizumo 
  • URL 
  • 2006.10/30 09:26分 
  • [Edit]

 

混乱の原因は、多分、奈良時代の朝廷が神社祭神を書き換えたり、伝承を切ったり入れたりしてぐっちゃぐちゃにしたからだろうな、と思うんです。
海部氏の系図はまだ最近世に出されたばかりで、他の神社も秘めていたものを出し始めているみたいです。
でも、なかには自分のところの本当の祭神を忘れてしまっている神社もあったりして(出雲大神宮とか)。
籠神社や出雲大神宮も、最近自分の社に纏わる国常立神伝承を明らかにしました。
吉田大洋氏の著作から推察するに、国常立神=クナトノ大神のようです。
アラハバキと関連ある女神(市杵嶋姫・瀬織津姫・下照姫・赤留姫・天鈿女神などの女神)の対神である男神はクナトノ大神との関連を疑ってよいかもしれません。
伊勢は出雲建子といわれた伊勢津彦のホームグラウンド。その子孫であるイザワトミノ命。そして、クナトノ神を覆い隠している猿田彦の存在など、出雲色が濃いです。
葛城は彦火明命の孫・天牟羅雲命が居た場所です。彼は九州にも行っています。そして、葛城氏とは姻戚です。
宇佐神宮に纏わる御許山の神・大日霊女=天疎向津姫=瀬織津姫伝承に市杵嶋姫や姫社神など、疑ったらきりがないです。御許=大元で、国常立神に辿りつきます。
以外と、下照姫の名称は夫と対照して「天照国照日子」の対「高照下照日女」かもしれませんよ(笑)。
  • posted by 長谷川彰子 
  • URL 
  • 2006.10/30 17:29分 
  • [Edit]

 

高照下照日女なんて、良いかもしれませんね。素晴らしい発想ですね。アラハバキはどこから勉強したら良いでしょうか。
  • posted by shigechanizumo 
  • URL 
  • 2006.10/30 17:45分 
  • [Edit]

 

アラハバキに関しては、名称ばらばらでう~ん困ったな、という感じですが……(笑)。

本では、
・記紀解体(近江雅和著 彩流社刊)
・エミシの国の女神(菊池展明著 風琳堂刊)

ウェブサイトでは、
 http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/ 東北伝説(風琳堂さんのサイトで瀬織津姫=アラハバキに詳しいです)
 http://hw001.gate01.com/sangatu/ 方位線と歴史

などが詳しいです。
  • posted by 長谷川彰子 
  • URL 
  • 2006.10/30 17:51分 
  • [Edit]

 

ついでにいえば、「高照下照日女」は「方位線と歴史」の「出雲神族・海部氏と丹後」に書いてあったのを孫引きしたものです。わたしは全く異論がありません(爆)。
  • posted by 長谷川彰子 
  • URL 
  • 2006.10/30 17:53分 
  • [Edit]

 

早速ありがとうございます。またいろいろ教えてください。
  • posted by shigechanizumo 
  • URL 
  • 2006.11/01 09:34分 
  • [Edit]

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